ベルリンの壁 2009年9月

ベルリンの壁が作られたのは私の生まれた年の3年後の1961年8月のことだ。1989年11月までの実に28年間,西ベルリンが米英仏の旧連合軍側,のちドイツ連邦共和国(西独)の飛び地として管理されていたわけである。戦後間もなく,東側が行った西ベルリン封鎖作戦に対抗し,今回降り立ったTegel空港を利用した物資の大空輸作戦で西側はしのいだそうだ。ちなみにTegel空港は来年閉鎖されるので私が利用できるのはおそらく今回が最後,替わってベルリン・ブランデンブルグ国際空港が開港するという。

 今は観光地となっているチェックポイント・C(チャーリー)跡地212。東西ベルリンの検問所跡である。壁のあった場所にはレンガが敷かれている211。西に歩いてポツダム広場にある壁のモニュメント218。高さはかなりあり,背の高いひとでも飛びつけそうにない。向こう側の景色も見えず219,心理的にも圧倒的な閉塞感を漂わせる作りだ。広場を通る道路にもレンガの壁跡が横切っていて217,これがずっとブランデンブルグ門のロータリーを横切り220,ここを越えても更に北へ続く。翌日,空港への移動前の時間を使ってアレキサンダープラッツから歩いてベルリン大聖堂を過ぎ,ウンター・デン・リンデン通りに入りブランデンブルグ門方面を望む229。壁崩壊から20年,今なおドイツ国民は高い税金を払いながら,旧東側の開発を続けており,ウンター・デン・リンデン通り沿いも一部はまだ開発途上にある。64年前にはソビエト軍の戦車が押し寄せて壮絶な市街戦が繰り広げられたこの通りは今は平和だ。