こぼれ話:大阪駅のホームレス

 今では英文論文の投稿はWeb経由が当たり前である。

 1980年代は編集部への郵送である。デスマッチのあと,教授室の小さな円卓のまわりに関係者数名がおごそかに座る。すると先生が,『ああ,あんたたち,手え洗ろたか?』と言う。われわれは,はい,洗いました,と言う。次にテーブルの上を台拭きで清め,湿り気が飛んで台が乾燥するまで待って,論文とその写しを並べる。皆でまずページの順番が抜けたりずれていないかチェック。『著者の名前,間違いないやろな。抜けてるひとおらへんやろな。尤も,間違っとったらいかんからみんなそんなとこだけしっかり見とるやろけどな。』 そして封筒の中に何かすでに入っていないかチェックしたあと(かつて,紛れ込んだ誰かのRI手帳も雑誌編集部に送ってしまい,編集部がわざわざそれだけ送り返してくれたそうだ・・・),カバーレター,論文のオリジナル版,そのコピー4部ほどと一緒に大きな茶色い封筒に詰め(以上,いわゆる袋詰めの儀式),書留速達航空便で外国の編集部に送っていた。「カキトメソクタツコウクウビン」以外で送ることはあり得ないので,いつしかこのフレーズは論文を郵便を送る決まり文句になった。

 ちなみに遺伝子を単離し,配列を決定し,それを論文にして発表するという研究は早さが命。したがっていつも塩基配列の確定については別項に書いたように何重にもチェックを繰り返し,粘りに粘って完成形にし,最初の頃は京都駅前にある京都中央郵便局に,論文の筆頭著者がカキトメソクタツコウクウビンを出しに行った。

 あるとき,京都中央郵便局に出したあとで,論文の中に,ミスが見つかった。筆頭著者がかなり叱られたことは想像に難くないが,即座に京都中央郵便局に頼んで,発送した郵便の回収を試みたところ,既に大阪中央郵便局に移送された後であることを知る事になった。つまり,京都中央郵便局に急いで出してもそれは大阪中央郵便局に一旦移され,そこから伊丹空港経由で外国に飛ぶことを知ったのである。

 それ以後,論文は常にぎりぎりまで粘ってチェックを繰り返し,最後は京都駅から電車に乗って大阪中央郵便局まで筆頭著者がカキトメソクタツ・・・を出しに行った。

 ある論文を私が(筆頭著者ではなかったが,カキトメソク・・・を出し慣れているという変な理由で),いつもの決まりで大阪中央郵便局まで出しに行く事になった。大きな封筒を抱えて夜遅い電車で郵便局までたどり着き,夜間窓口に出す前にもう一度先生に電話を入れて提出していいかどうか最終判断をもらい,『出してよし。翌日の飛行機に間に合う事を念を押しておけ。』となり,それから出した。しかし,京都へ帰る上り電車は最終が出たあとでもう帰れない。結局大阪駅の構内でホームレスのようにぼんやり座り込んで朝まで待ち,始発で京都まで帰った。

 無事に大阪中央郵便局経由で出したこと,今日の飛行機に間に合うこと,今朝戻って来たことなどを先生に報告すると,次回,先生は,帰りのタクシー代を出して下さった。