27. 大文字の送り火

 私が医化学へ入ってしばらくして,ある会社から若いTさんが研究員として派遣されてきた。その会社の社長の御曹司らしい。実に穏やかで愉快な性格である。7・8研の住人であったが,いろいろとたいへんお世話になった。

 Tさんに対し,先生は優しかった。それはTさんが,先生の一人息子にそっくりだったことが理由のひとつのようだ。先生も何かにつけて,『Tさんはうちの息子にそっくりなんですわ。わはは。』と周囲に漏らしておられた。

 毎年8月16日,医化学教室の屋上で,五山送り火の大文字を眺めながら皆でパーティをするのが恒例だった。たった3階建ての医化学教室でもよく見えた。京都は送り火や景観などのために,高い建物を建てられない決まりがある。

 ある年,ドイツの母方のほうに住んでいるそのひとり息子さんが久しぶりに日本に遊びにきて大文字送り火のパーティに参加した。先生は教室の連中に自慢の息子を紹介して回った。私はTさんとはそれほど似てもいないその息子さんを見て,顔立ちの端正さは父親譲りにせよ,ずいぶんと穏やかで優しそうな性格を感じ取ったことを覚えている。