教授の部屋


雑文

症例報告、ニャンコやワンコに見られたドミネガ徴候について

 世の中には頭の良い人がいるものだと感心する経験は、サイエンスの世界では極く普通です。筆者がポストドクターとして研究生活を始めた30年前、と言えば、がん抑制遺伝子の代表格、p53遺伝子が単離されたばかりの頃です。発見当初はがん遺伝子と考えられておりましたがそれは変異型p53であって、野生型p53は歴としたがん抑制遺伝子であるとは、後日に判明した事柄。あるヒトの遺伝子型がヘテロ、よってp53タンパク質の1分子は野生型、1分子は変異型である場合、細胞内でのp53全体としての振る舞いは変異型、発がん性を示すという、不思議な現象が観察されておりました。同一の遺伝子が、がん遺伝子なのか、がん抑制遺伝子なのか、どちらとも言え、正反対が共に正しいと理解されていたのです。全くのパズルであり、そこに頭脳鋭敏な人が登場する余地があった訳です。なぞ解きは、以下の如くとなります。
 p53タンパク質は4量体として機能します。4分子のうち1分子だけが変異型であっても、変異型形質が優性であり、残り3分子の野生型形質は抑え込まれ、4量体全体としては変異型の表現型を示すことになるのです。こうした事態を表現するのに或る天才が、“ドミナント・ネガティブ効果”なる新語を用いたのでした。繰り返しますと、p53遺伝子ががん遺伝子なのか、がん抑制遺伝子なのかを巡って、研究現場は大混乱。喧々囂々の騒ぎでありましたのが、“ドミナント・ネガティブ効果”のたった一言でもって、議論は収束、皆が納得したという次第でした。ドミネガの発明家はサイエンティストに向かって、“ほら、ドミネガというアングルで見て御覧よ。矛盾なんて無いのだよ。それの分からないお前さん方は、何というアホなのだ。”そう言ったのも同然です。
 絶妙なる用語の例は一人、ドミネガのみに止まりません。トランスジェニック・マウスやターゲティング・マウスが流行だからといって、やみくもに変異マウスを作ろうとする我々に、“それはね、ゲイン・オブ・ファンクション、もしくはロス・オブ・ファンクションの実験というのだよ”と教えてくれたのは、第2の天才でした。続いて、遺伝子単離が先行しそれに変異を導入して表現型を観察するのは、リヴァース・ジェネティクス。それに対して、表現型があってその責任遺伝子を単離する古典的遺伝学は、フォーワド・ジェネティクス。両者の区別を教えてくれたのも第3の天才です。とにかく頭の切れる人はいくらでもいる様で、この数10年の間にたくさんの用語が生み出され、その都度、状況が整理され物事の本質を教わった。そういう経験を繰り返してきた様に思います。
 以上、用語とは単なる用語ではなく、物事の本質を表現し、理解を助けるものです。従って用語には真理そのものとほぼ同等の重要性が賦与されております。そこで気になるのが、用語の出典です。優性抑制効果、機能獲得と喪失、逆向と順向の遺伝学。日本語はありますものの、明らかに訳語であり、原典は英語に相違ありません。勿論、論文が英語なのだから、用語も英語になってしまうのは致し方のない事です。しかしながら、自分がそういう気の利いた英語用語を案出した覚えが無いということは、人から教わるばかりで、人に教えた経験は無いことに他なりません。
 しかも情けないことには、一旦余人により用語が世間に提供されるや、吾人は喜んで使いたがる傾向があることです。遺伝子を導入して抑制効果が見られたら、何でも彼でもドミネガ効果。ありとあらゆる論文が、ありとあらゆるドミネガ効果で溢れかえってしまいます。本当にドミネガ効果なのでしょうか? 抑制が観察されたのだから、ネガティブ効果は正しい。しかしながら、昔、薬理学で習った“競合阻害”(またもや原典は英語で、competitive inhibition。ドミネガの出現以来、競合阻害はすっかり廃れてしまった)という概念もあります。この場合には、阻害物質の量の多募により阻害の有無が決まります。遺伝子導入により見られた現象が、競合阻害なのかドミネガ効果なのかは、異なる概念だから、本来は慎重に検討せねばなりません。
 そうとは分かってはいるのです。いるのではありますが、学会発表では目立ちたい、論文も雑誌にアクセプトはされたい、との願望は殊の外、強いものがありますから、慎重などと呑気な事は言っておられません。流行語が出現したからには、猫も杓子も使い出す前に、先陣を切って後追いしようという気持ちになるのは無理からぬ事なのです。でも、もう一度、立ち止まって考えますと、不思議です。“先陣を切って後追いする”って、どういう事なのでしょうか。論理矛盾を内包してはいないだろうか? こんなことだから、いつの間にか本当に、猫仔も狗仔も私も、ドミネガ一色に染まってしまったのではないでしょうか? 染まるのだから正しくは、“ドミナント・アクティブ効果”と呼ぶべきかもしれませんが。

加齢研ニュース 第50号 7−8頁
平成20年12月1日

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