教室の歴史
「抗酸菌病(結核と癩)の予防及び治療に関する学理並びにその応用を研究する」ことを目的として昭和16年に東北帝国大学に創設された抗酸菌病研究所(熊谷岱蔵初代所長)に,外科学部門として昭和25年5月24日に正式に設置された.これより遡ること6年前にすでに初代外科学部門の教授である鈴木千賀志先生が当研究所において外科療法の研究を担当するため助教授として着任されていた.当時の外科学部門は結核の外科治療として胸郭形成手術を導入していたが,一方で安全な肺切除療法の確立に向けて壮絶な努力をしていた.今でこそ麻酔や手術器具の発達により肺切除手術は日常の手術手技となってはいるが,当時はそれこそ命をかけた大手術であった.
外科学部門で初めて肺癌に対する肺切除手術が行われたのは昭和27年であり,以後外科学部門の研究の方向が肺結核から肺癌へと移行していくことになる.肺切除手術の安全性を手術前に検査する方法として一側肺動脈閉塞試験を確立したのもこの頃である.その後,肺結核が減少する一方で昭和25年から17年間におよそ5倍に増加した肺癌は引き続き増加する勢いで,その外科治療の成績を上げることが急務となった.肺癌の早期発見を目指して昭和27年以来宮城県を中心に肺癌集団検診が開始されたのである.この功績により,鈴木千賀志教授は昭和50年に河北文化賞を受賞されている.また,鈴木千賀志教授はすでに昭和30年代から肺移植の研究の必要性を認め,その基礎的な研究に着手されている.
昭和49年に仲田 祐教授が就任.この頃から,外科学部門の研究は,肺癌に関する研究,呼吸循環生理学に関する研究,そして肺移植に関する研究,の3本の大きな柱となった.診療においては肺癌の症例数が肺結核の症例数を上回り,全国でトップクラスの肺癌の手術症例数を誇るほどになった.これまで3000人以上の患者さんに手術を行ってきている.この頃に呼吸器外科としての基盤が形成された.わが国の国立大学において,呼吸器外科として単独の診療科を有しているのは,東北大学,千葉大学,京都大学など,いまだごく限られた施設しかない.
平成元年に藤村重文教授が就任.肺癌の手術においても内視鏡手術の導入や切除範囲を絞った縮小手術の導入など大きな展開があり,いわゆる呼吸器外科という領域の確立がなされた時期である.肺癌の検診について,その意義が問われる中,多施設の大規模な研究により,検診が肺癌による死亡の危険性を低下させることを示した.肺移植については,諸外国における臨床例の増加を横目に我が国では長いこと基礎的な研究のみであったが,脳死下での臓器提供を可能とする法律の制定に伴って肺移植の実施施設の認定作業が始まり.東北大学が実施施設の一つとして認定される.藤村教授が定年退官となる間際の平成12年3月29日に我が国で最初の脳死ドナーからの肺移植が東北大学と大阪大学で行われた.肺移植を臨床医療として確立させるまでの努力に対して,藤村教授は平成13年に河北文化賞を受賞されている.
平成12年に近藤 丘教授就任。この年、昭和39年以来研究所の臨床部門が診療を行ってきた研究所附属病院が医学部附属病院と統合。以来、新しい統合病院においては呼吸器外科という診療科名で日常の診療を行っている。また、平成21年には新外来棟が竣工し、従来の外来棟5階から新外来棟2階に外来診療の場が移っている。呼吸器外科の診療としては年間250例以上の手術を実施しており、このうち肺癌の手術が100例程度になっている。宮城県内外から難しい症例を引き受けているとともに、日本の7カ所の肺移植実施施設の一つとして2009年までに脳死肺移植20例と生体肺移植7例を実施している。研究面ではこれまでの歴代教授が進めてきた研究を発展させて肺癌と肺移植における臨床研究と基礎研究、肺の再生医療を大きな柱として推進させている。

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